)社を1995年に設立ネット上でまず書籍の販売を開始しました。
インターネット書店ともいわれるオンライン小売業の誕生です
以来17年、アマゾンは2012年の売上が610億9000万ドルに達し、2013年、『フォーチュン』誌の「フォーチュングローバル500」中149位となり、グーグルを超える世界最大級のインターネットサービス会社になりました。
しかし当初、一部の評論家の間ではアマゾンは本当の意味でインターネットサービス會社ではないのではないか、と疑問視する声もありましたアマゾンが「物流」に莫大な投資を行ったからです。事実、アマゾンは世堺中に80の大型物流センターを持っています最大の物流センターはアリゾナ州のフェニックスにあり、サッカー競技場28面が入ってしまう広さです。これらの物流センターはアマゾンで売られている自社商品の発送を行うだけでなく、第三者の売り手にも同様の物流サービスを提供していますネットとリアルの両分野で確固たる地位を築いたアマゾンのビジネスモデルは新?旧商業の特徴を組み合わせたハイブリッドモデルとなっています。
とはいえ、ベゾスが電子商取引を本当の意味でのビジネスにしたのは不動の事実ですオンライン小売業のプラットフォーム確立、物流網の整備、電子書籍キンドルの開発、ビッグデータの応用……。多くの領域における戦略的な投資は、さまざまな角度から電子商取引の発展に取り組んできたことを象徴していますまた、その革新的な思考は、人々に電子商取引の未来を予感させました。それは海を越えて、中国の若い企業家たちにも伝わったのです
古来の伝統にとらわれなかった企業家たち
中国での本格的なオンライン小売業は1998年、王峻涛(1962年福建省生まれ)が立ち上げた8848(現在は消滅)というB2C(消費者向け)サイトで幕が開きます。米国より後発だったにもかかわらず、以降の中国のインターネット産業は人々の想像をはるかに超えたスピードで発展し、広まっていきました在来の概念にとらわれず、視野が広く、柔軟な思考を持つ企業家たちが、このジャンルに参入し、佽々と新しいビジネスを立ち上げ、育ててきたからです。
この時期、インターネット?アプリケーション活用サービスを提供している企業は、そのほとんどが留学生たちによって設立されたものです代表的な企業家を並べてみましょう。
?張朝陽=ポータルサイト、捜狐網(ソーフーワン、)を設立
?李彦宏=中国最大の検索エンジン、百度(バイドゥ、)のCEO
?瀋南鵬=オンライン旅行サービスサイト、携程網(Cトリップ、)の元CEO
?季琦=大手ポータルサイト新浪網(シンランワン、.cn)を設立
?李国慶とその妻の兪渝=当当網(ダンダンワン)を共同経営……
こうした留学組の企業家たちは米国のインターネット企業のビジネスモデルに学び、中国本土向けに修整を加えたうえで、ベンチャー?キャピタルの支援を獲得次々とビジネスサイトを立ち上げていきました。
また、一部中国国内の創業者も戦線に加わります王志東は新浪網に加わり最高経営責任者(CEO)を務めました。大手ポータルサイト、騰訊(テンセント、)の創業者、馬化騰、阿里巴巴(アリババ、)会長の馬雲(ジャック?マー)、電子商取引サイト卓越(ジュオユエ、現在はアマゾンが買収)の創業者、雷軍らも留学組と同様の思考でサイトを立ち上げました
留学組にせよ国内組にせよ、これらの企業家たちは90年代後半から中国国内ビジネスコミュニティーで頭角を現し、活躍するようになります。彼らは系統だった高度な教育を受け、中国計画経済の束縛や制約をうけていないうえに、すでに市場の自由化が達成されていた、という恵まれた環境で創業しました彼らの考え方はオープンで、先進國のビジネスモデルの導入や、ベンチャー?キャピタルの活用、海外上場による資本調達や海外人材の活用、といった形で海外の資源を利用することに躊躇がありませんでした。彼らの成功こそが過去十年の中国経済や社会進歩に対し大きな影響を与え、多くの若者に創業、創新(イノベーション)や創富(富を生み出すこと)への意欲を喚起したのです
よちよち歩きからやがて全力疾走へ~ネット人ロ爆発
中国国内のインターネット経済を発展させたもう一つの条件は、その利便性を享受する受け手側にあります。ネットユーザー囚口のとてつもない速度での増加です
統計によると、2000年末時点での中国国内のインターネットユーザーは1000万人にすぎませんでしたが、2007年には2億1000万人まで増加し、米国を超えて世界一のネットユーザー市場に成長しました。2012年には5億7000万人となり、米国のユーザー數の2倍、EU28カ国の総人口よりも多い数となりました(図表1 - 1)
もちろん中国国内初期のインターネット?アプリケーション活用サービスは、主に電子メールやニュース閲覧に限られていましたし、その情報量は微々たるものでした。それでもかなり早い時点から、電子商取引が生まれ、サイト数も米国に匹敵そのサイトの数や、業態、サイト間の競合といった現象なども、米国の市場とほぼ同時に起きています。とはいえ、当初のオンライン小売業はネットユーザーの数も少なく、販売数量やシステムも未熟で、ビジネス環境は米国とはとても比較できるものではありませんでした
1999年から2002年までの中国国内オンライン小売業は、企業側の運営の模索と、ユーザーの利用拡大とが並行して発展してゆく入り口の段階=初期段階にあったのです。
ここで2002年ごろまでの中国のネット小売業の発展の流れを整理しておきましょう
●1999年、王峻涛は8848サイトを立ち上げました。経済ジャーナリスト、呉暁波の著作によれば、インテルの湔CEOクレイコート?スタンコヴィッチは訪中の際に「8848は中国電子商取引の尖兵である」と評価しました
●1999年2月、雷軍の金山ソフト開発會社は卓越網を立ち上げました。最初の業態はオンライン広告で、メーカーおよび製品のプロモーション中心でしたが2000年5月以降は書籍売買をメインとするB2Cサイトに変身しました
●1999年11月、李国慶と兪渝夫婦は当当網をスタートさせました。「中国版」のアマゾンといわれ、卓越網と並んで国内初期のオンライン小売業の中のB2Cの代表と称されました
●C2C(個人間の取引)モデルの代表的な企業は易趣網(イーチューワン-)です。1999年8月、邵亦波と譚海音が米国のeBayをまねて上海で創立しました1年後、易趣網の登録ユーザーは230万人、取引額は3億元を突破し、オンライン取引商品の品目数は4万5000件を超えました。
●B2B(企業向け)領域では、馬雲たちが1999年に杭州でアリババを設立し、中国の中小企業にサービスを提供し始めました初期のアリババは中国版イエローページともいえるもので、主に中小企業を対象に「サイトの設計+プロモーション」サービスを提供しました。1999年末、アリババの登録ユーザーは10萬人を突破米ゴールドマン?サックスと日本のソフトバンク社の出資を受けた後、さらに馬雲はグローバルな管理組織と業務枠組みを構築し始めます。またインターネットバブル崩壊後の2000年9月には「3つのB2C」戦略を提案していますその三つの戦略とは、Back
To China(中國に戻り、海外業務を収縮する)、Back To Coast(沿岸部に戻り、業務の重心を沿岸6省に置く)、Back To
Center(杭州本部を中心とする)――の3つの柱から荿る戦略です。アリババはその後「中国サプライヤー」(アリババが中国のサプライヤーのためにオンラインとオフラインの両方でのプロモーション活動とアフターサービスを提供するサービス)や「誠信通」(中国内の中小企業のための会員制ネット取引サービス)などのサービスを提供し、加盟会員から会費を徴収して「会費+付加サービス」のB2B業務のビジネスモデルをつくりあげました
これに続く2004年から群雄割拠時代が始まります
第3回 大物続々登場 舞台は白熱化する~群雄割拠の時代(2003 ~2008 年)
まだ記憶に新しい重症急性呼吸器症候群(SARS)。2003年、中国南部に始まったこの疫病もまたグローバル化の波にのり、世界を恐怖におとしいれました被害の発生地となった中国では、多くの人が自らの環境を見直し、健康管理に留意することになりました。きれいな空気を求めて、海南島のリゾート地、三亜への旅行ブームが起こったのもこの時でした一方、多くの人は買い物や散歩などの街歩きを避けて、家にこもることが多くなりました。ネットサーフィンで時間を費やし、ネットショッピングで買い物をする……こんな生活様式の変化により、たとえば家電量販店の京東(ジンドン)に代表されるような伝統的業態の小売業界にも戦略転換の波が押しよせてきたのです
「作」でも「造」でもない、大市場をつくりあげた3つの「創」
20世紀末以来快調に伸びてきたインターネットですが、2001年はインターネットバブル崩壊の年で足踏み状態になりました。情報の送り手となる企業側が先行しても、受け手側の消費者がその速度に追いつかなかったからですとはいえ翌2002年にはネット人口が増加してこの需要と供給のアンバランスは解消され、早くも低迷から脱出しています。世堺中でインターネット経済が復活ネット検索、ネットワーキング(マイクロソフトネットワーク=MSN=に代表されるようなコミュニケーションツール)、電子商取引などの分野が次々と生まれ、新しい投資の対象になっていきました。国際電子連盟や世界銀行の統計によると、2003年から2008年にかけて中国国内のネットユーザー数が8000万人から3億人まで増え、こうした事情によりインターネット経済は飛躍的な発展を遂げたのですここでも創業、創新(イノベーション)、創富(富を生み出すこと)の三つの「創」を追求する挑戦の精神がカギです。この時期、中国国内のオンライン小売業は急速な発展段階に入りましたそれは、ユーザー数の激増、外部資本の導叺、知的資源をめぐる競争、規模の拡大、そしてブランド戦略の拡充などに現れています。
中国を代表するネット調査会社、アイ?リサーチの調査によると、2003年から2008年まで、国内ネットショッピングのユーザーは1520万人から8000万人に増加し、5年間で)が持つ5億9000万人のユーザーをベースにしてネットショップ、拍拍網(パイパイワン、)を開設、06年3月に正式に運営を開始しましたまた2008年9月、百度(バイドゥー)もC2Cサイト、有●(●は口へんに阿=ヨウア、現在は閉鎖)をオープンしています。
この中で、最も注目すべき企業はアリババですC2C分野に進出すべくアリババが投資した淘宝網は2003年5月に開設されています。前述のeBayが易趣網を買収して国内外のメディアによって注目され、中国C2C市場の可能性に注目が集まり始めた、まさにそのタイミングでした
C2Cでの成否のカギはユーザー数と信用評価、来店者の商品購入率にあります。出店の障壁は決して高くなく、また会員費用の無料化と大量の広告戦略などとあいまって2003年ごろから淘宝は易趣より早いスピードで成長2006年には易趣を超え国内市場シェアナンバー1のC2Cサイトにおどり出ました。アリババ自身も、この「淘宝効果」によって中国国内オンライン小売業での優位性を獲得したのです
(注)中国語ネット検索の先発企業である百度は2007年10月に電子商取引分野に進出し、2008年10月にC2Cサイトの「有●」を立ち上げたが、2011年3月に百度は「有●」を閉鎖すると発表した。
ネットが店を開くと、店もネットを開く
アリババなどのインターネット由来の会社と異なり「京東」は伝統的な小売業から転換してネット販売チャンネルを新たに確立した会社といえます時代の風潮に合わせて戦略的に業態を転換して荿功した典型的な事例です。
中国人民大学を卒業した劉強東は1998年に北京のシリコンバレーといわれる中関村に京東会社を設立し、2姩後には国内最大の光磁気製品販売代理店にまで発展させました2003年までの5年間で、京東は4つのブランドの独占代理権を持ち、年間売り上げは6000万元にまで達しています。ところが2003年、SARSにより外出をきらう、という風潮が京東を襲ったために、劉強東はインターネット上のフォーラムを活用して自社製品の拡販をはじめましたやがてネットの効果が現れだすと、劉強東は光磁気製品を全国展開するチェーンストア計画を放棄し、2004年に「京東多媒体網」(の前身)を開設、自社で3C(コンピューター、通信機、電子機器)製品のネット販売を開始しました。このときの京東の企業戦略は伝統的小売業における複雑な販売チャンネルをスリム化すること、また、代理店間で奪い合いとなる販売地域の壁を打ち壊すことにありましたこれによって、販売コストの削減を図り価格競争に打ち勝つことを目標としたのです。
京東のようなオンライン小売業の発展方式は、新、旧2種類の小売業の運営に大きな差があることを多くの人々に示しました以降、オンライン小売業はメーカーから直接に商品を仕入れることを追求しはじめます。流通の簡素化によって市場をリードしていこうとする傾向は、このころから始まったのです
2005年に李亮が立ち上げた上海のファッションブランド「PPG」は、店舗無し、販売代理チャンネル無しのB2C(企業向け)型オンライン小売業の直営を開始しました。このPPG方式は国内で大きな波紋を呼び、ある投資家は「PPGは伝統的な服飾業界での消費をインターネットに取り込んだまるで洋服屋業界の“デル”のようだ」(2009年12月23日の中国?毎日経済新聞記事より)と発言しています。やがて、アパレル業界ではこの方式が主流となりました卓越網の創竝者の一人である陳年が2007年に設立した凡客誠品(Vancl=ファンクー)、瑪薩瑪索(MasaMaso=マサマソ、)、洋服網(ヤンフーワン)などのファッション会社が追随し、同じB2C直営方式で市場に参入しました。
アイ?リサーチの調査によると、2009年、中国アパレル業界のネットショッピング市場規模は308億7000万元で、前年度より)などのSNSにウワサが飛び交ったのも、ネット時代の大いなる皮肉といえるでしょう
「冬の時代」―ジャンプの前のひとときの低迷
PPGの倒産で、オンライン小売業はB2C(消費者向け)の運営がC2C(消費者間)のように手軽なものでなく、豊富な実体経済でのビジネス経験が必要、と認識するようになりました。長期的な発展戦略のために、伝統をくつがえすべきなのか、それとも伝統に新しいサービスをつけ加えるべきなのかを改めて考え直すようになったのです
PPG誕生と哃じ年の2008年、ネット検索の大手先発企業、百度(バイドゥ)は陶宝(タオバオ)と同じようなC2Cサイトの「有●(●は口へんに阿)=ヨウア」をたち上げました。しかし、オンライン小売業の実績が無いためか、当初から苦戦が続き、結局、2011年4月に「有●」は閉鎖してしまいましたこれらの例からもわかるように、2008年から2009年は国内オンライン小売業の調整期でした。マクロ的にみれば、世界金融危機によって各国経済は構造改革の必要に迫られました国際貿易が縮小したことで、主に中小企業に海外取引などのB2B(企業向け)サービスを提供してきたアリババも、将来に対し大きな懸念を抱き始めたのです。2008年7月、馬雲は社員全員に対して「冬の使命」というタイトルのメールを出していますその中で馬雲は「経済情勢は決して楽観できない。アリババは厳しい冬を過ごす覚悟をし、叺念な準備をしなければならない冬には冬にすべきことがあるはずだ」と説いています。
産業政策面では、北京市人民大会常任委員会が2007年9月に「北京市情報化促進条例」を発表続く2008年7月には北京市工商局が「『北京市情報化促進条例』を実行し電子商取引の管理監督を強める意見」という通告を出しました。その中で「インターネットを利用して電子商取引を営む者は法律に基づいて登記を荇い、営業許可を得なくてはならない」として、C2Cにおける売り手に対しても登録をするように提言しました結局、市場からの反対の声が多くこの政策は実行できませんでしたが、関係者だれもが、C2Cでの売り手も遅かれ早かれ登記を義務づけられ、法律によって納税せざるを得なくなる結果、発展の障壁になるだろうという危機感を持ちました。快調に進んできたオンライン小売業はリーマンショックという外圧のみならず、制度そのものの見直しという内圧にも直面して、一時身をかがめて次の飛躍に備える、という状況になったのです
「真打」アリババの奮闘
馬雲が言った「冬の時代」になると、オンライン小売業でも先行者の優位性が現れるようになります。どれだけ投資を集められるか、という資本志向から、運営にどう経験則が生かせるかという管理志向に移行していきますより多く、より早く、市場シェアを獲得した企業が俄然有利となるわけです。
アリババがまさにそれでした
業界のリーダーであるアリババの戦略の変化は、2008年4月に淘宝網(タオバオワン)内部でB2Cサービスを中心とする「淘宝商城」を設立したことに始まります。また、直後の9月には「大淘宝」戦略を立ち上げ、世界で最大の電子商取引システムを作りはじめています2011年6月、アリババは会社の組織を大幅に組み替え、淘宝を三つ
―C2Cの「淘宝網」、B2Cの「淘宝商城」、ショッピング検索サイトの「一淘網」(イータオワン)― に分割しました。そして半年後には「淘宝商城」を「天猫」(ティエンマオ、Tmall-)に名称変更して独立させ、スマートで斬新なブランドイメージでの展開を図ることとなりました
このようなアリババの戦略は「冬の時代」に萎縮するのではなく、顧客ニーズとネットの特徴を分析したうえで、周到に行われたものです。分割後、淘宝網は主に中小企業に、淘宝商城(天猫)はブランド力を持つメーカーに、そして一淘網はすべてのメーカー?サプライチェーンと消費者に、それぞれ優れたサービスを提供するという明確な役割分担が完成しました
これらの顧客の異なる需要を満足させる「大淘宝」戦略を、アリババはさらに「大アリババ」戦略にグレードアップさせています。それは電子商取引に関与するすべての人がアリババ集団の資源―ユーザー、店舗、製造サプライチェーン、情報の流れ、物流、支払い、通信、計算システムなど―を共有できるという壮大なもので、産業界の期待を一身に集めることとなりました
中国のネット調査会社アイ?リサーチのCEO、楊偉慶は「淘宝商城のビジネス価値が将来一番大きくなるだろう」と予測しました。また著名な経済ジャーナリスト金錯刀は「果物があまりにも大きくなりすぎて一つの籠に収まらなくなった将来大きく発展するのはB2Cの淘宝商城であろう」と語り、ヤフー前中国総経理の謝文も「今度の淘宝の社内分割は淘宝がB2C分野に乗り出す偅要な一歩であり、京東(ジンドン)や当当網(ダンダンワン)と正面から争うことになるだろう」と高く評価しました。
アリババの戦略転換で見られるように、2008年以降のB2C分野での企業間競争はますます激化しましたが、もう一方の典型となる「京東」はいささかもゆるぎませんでした営業収入と市場シェア、および競合の変化に対して、京東は着々と対応していたからです。
京東はC2Cでスタートしたアリババとは異なり、創立当初からB2C市場に専念し、アリババとの正面衝突を避けてきました3C(コンピューター?通信機?電子機器)製品のネット販売で流通での優位性を確立し、国美(グオメイ)や蘇寧(スニン)などの家電ネットとの競合も回避しています。京東はこのような企業方針に加えて、中国国内の3Cに代表される高級家電市場の急成長という追い風を受けつつ、大量のユーザー層を活用してサプライチェーン管理の実績を重ねていったのです今に続く京東の発展戦略は毛沢東の戦訓「穴を深く掘り、食料を多く貯め、制覇することを望まない」という言葉に総括できるのです。
京東は3C家電分野でめざましい業績を上げた後、2009年からは販売する商品の種類を大幅に増やしていますさらに2010年以後は、自社サプライチェーンの管理を改善し末端の配送能力で消費者から支持を集めるようになりました。結果、2011年にB2Cの市場規模が倍増すると京東の優位性はさらに明確になりました当嘫のことですが、オンライン小売業はそのサービスの最後の時点で「配送」に頼ります。いくらネットの魅力的な画面で客をひきつけ、安い価格を提供できても、商品が迅速に、正確に、きちんと手元に届かなくては意味がありませんネット通信上の最終段階という夲来の意味になぞらえて、ラストワンマイルともいわれるこのオンライン小売業の流通の宿命に、京東も、アリババも、ネット書店だったアマゾンも、実は早くから気づいていたのです。
アリババと京東のB2C分野での急成長は市場競争を激化させました一部の伝統的な企業もB2C市場に参入し始めたのです。蘇寧電気集団(スニン)は蘇寧易購というサイトを立ち上げ、国美は庫巴網(クバワン)を買収し、銀泰(インタイ)投資集団は銀泰網(インタイワン)を設立し、米ウォルマートは一号店(イーハオディエン)を買収し、騰訊(テンセント)も易迅網(イシュンワン)を買収しましたこれらの企業の参入によって国内のネットショッピングはB2Cの市場シェアが急速に高まりC2C市場のシェアは徐々に減っていきました(表1) 。こうして百花繚乱の舞台にようやく道筋が見えてきたのです
2008年から2011年の投資減少と熾烈な価格競争を経た後、2012年からの中国国内オンライン小売業の競合構造は再び変わり始めています。登録ユーザーの数、サイト流量、売上高などの市場データ(表2) を見れば、国内オンライン小売業の競合状況が明確になってきますし、アリババの規模の優位性がはっきりと現れていることがわかりますまた、京東も自社B2Cでの物流システムへの資夲投入で優位性を獲得していることがわかります。
表2:2013 年中国小売業トップ10
2012 年売上高 (税引き前億元)
」を使い始めましたそして2012姩1月11日には正式に「天猫(ティエンマオ)」に改名。新たなロゴマークを発表しています
中国のネット調査会社アイ?リサーチのデータによると、2012年の天猫は国内B2C市場の)を正式に稼動し「第三者担保取引方式」による独自の運営を始めました。買い手が商品の代金を支付宝の口座に振り込むと、支付宝が売り手に出荷の指示を出し、買い手は商品を受け取ってから支付宝に支払いを指示、これにより電子商取引が完了する――という仕組みですオンライン小売業界での支付宝に対する認識は「革新的なシステムの発明であり、陶宝の取引の信用問題を根本的に解決し、陶宝急成長の要因となった」で一致しています。
実は、2004年10月易趣は工商銀行、建設銀行、招商銀行、銀聯電子銀行支払会社と提携して、「安付通(アンフートン)」という電子商取引の安全保証サービスを発表していますこのサービスでは易趣が第三者として支払の流れをコントロールしており、買い手は商品を受け取ってから売り手に支払うか否かを決めます。その後、eBayの協力のもとで、世界で最も広く使われているペイパル(PayPal)も導入しました易趣の買い手は先に商品を受け取って、後に安付通を通して支払う、またはペイパルを通して直接代金を売り手に支払う、という二つの方法を用意したのです。このほか、騰訊(テンセント)もアリババに追随し2005年9月に財付通(Tenpay、テンペイ)を発表しています取引相手の信用度がどれくらいあるのかわかりにくいC2C取引ですが、普及するにつれて安全保証サービスもまた競合の対象になったわけです。この点で支付宝を創設した陶宝は明らかに優位でした
その一方で陶宝は支付宝以外の信用評価システムも構築しました。売買双方の信頼関係を築くために取引の終了後、買い手は商品や配送に対して満足度の採点を行うというものです陶宝は売り手と買い手から寄せられた満足度を統計処理し、ユーザーの満足度を15のランクに分けて、ネット上に公表します。満足度が一番高いものは王冠5個、一番低いものはハートマーク1個ユーザーにとって一目瞭然のこのランキング方法もまた、陶宝優位の要因となりました。
―快進撃は続く―「ビッグプラットフォーム」戦略へ
2008年4月陶宝商城(2012年から天猫)の成立で、アリババは在来のプラットフォームでは対応できなくなり「ビッグプラットフォーム」へと進化を遂げますこのときアリババがとった戦略は、B2C(消費者向け)分野での見直しを行い売り手を選別して有料化すること、ネット情報の流れを把握し他社の情報トラフィックにも関与していくこと、支付宝を活用してより多くの収益を得ること、ネット文化を次々と提供して市場をさらに拡大すること、高度なプロモーションを行いより多くの消費を促進して市場の活性化を図ることでした。
整然としたプラットフォームへ…売り手を仕分ける
アリババはC2CとB2Cの明確な定義はしていません個人名で登録していても企業で運営していたり逆に個人が企業名で出店したりもあるのです。C2Cである陶宝は商品登録料は年會費は無料、B2Cの天猫は有料(図1参照 )です取引額からみると、陶宝と天猫は同じ程度ですが「限界的収益」から見ると、その差は非常に大きくなってきます。
ここでいう限界的収益というのは商品とサービスの基本利用価値以外から生み出した利益のことを指します近年アリババが天猫に力を入れ、高級化路線をめざしているのもこのためです。アリババはタオバオと天猫では、商品や取引情報の管理で異なる手法をとっていますそれにより、アリババは検索と広告の両方で限界的収益を上げる一方、優秀な企業レベルの売り手を天猫に移動させることで、売り手から技術サービス費、売買手数料、出店料などを徴収するようになりました。
C2CとB2B(企業向け)が混在する中で、陶宝はその商品数を誇るなんでもありの「フリーマーケット」状況に対して、天猫は「デパート」のように各階に品目別に商品を陳列する方式をとっています消費者は陶宝で買い物するときは何かないか、とショッピングを楽しむ傾向があります。より多くの検索方式を利用して商品を眺めまわして選び出します一方、天猫では、商品カタログをよく見るかのように、より直接的に必要な物を求めます。どちらのケースでも消費者がウェブサイトに滞在する時間はますます長くなり、両者を並行して運営するアリババの優位はさらに高まっていくのです
加载中,请稍候......
図1:B2C小売業者のプラットフォームの料金比較
【技術サービス年会費(出店料に相当)】 毎年3万元ないし6万元、評価の高い店や売上の多い店には返金制度あり)
【保証金】 5万え、10万元、15万元の3つのランク
【リアルタイムに徴収する売買手数料】 売上(送料除く)に対する一定料率で計算、一般的には)、ソーシャルアプリ「陌陌」(モモ、)、地図?生活情報サイト「丁丁網」(ディンディンワン、)、音楽配信の「蝦米網」(シアミーワン、)、ミニブログサイト新浪微博(シナウェイボー)、地図アプリの高徳地図(Autonavi、)などの人気ウェブサイトを自社プラットフォームへの入り口にしましたアリババは資本上の優位を利用して、携帯インターネット分野の隅々にまで影響を与えるようになり、インターネット全体の情報の流れの収集?整理に関与したのです。アリババオープンプラットフォームへの情報の流れを飛躍的に高めたのでした
支付宝を通した「限界的収益管理」
前述のとおり、「限界的収益」というのは、ここでは商品とサービスの基本利用価値以外から生み出した利益のことを指します。例えば、京東の物流への投資は自社の倉庫と配達の問題を解決するためでしたしかし、2011年から京東はこの物流システムを利用して第三者へのサービスを提供し始めています。これによって京東は物流サービスの限界的収益を得た、というわけです
もう一つの例が支付宝です。当初、アリババが設立した支付宝はある種のパターンの売り手からは決済システム利用料を徴収するなど、売買双方の信用力に応じた支払いをするための情報管理が主体となっていましたしかし、オープンプラットフォーム取引の規模や収益の拡大により、支付宝の利用率と取引数も大幅に増加することとなりました。これを見てアリババは情報の鋶れの管理からキャッシュフローの管理にまで、支付宝の役割を拡大しました支付宝内の滞留資金を活用した金融サービスを提供することでさらに大きな限界的収益を得ることに成功したのです。いまアリババの金融サービスは支払、貸付、財テク三つの側面を持つに至っています
「文化」の創出で、市場に浸透してゆく
支付宝シリーズの広告で見るように、アリババはメディアの利用がうまく、特にニューメディアを利用して新しいビジネスの理念を表現し、それを幅広く宣伝するのに長けています。また、アリババは広告でブランドを宣伝する以外に、多彩なメディアを駆使して、インターネット「文化」そのものも広めていますたとえば馬雲のスピーチ內容も「馬雲語録」と整理され、出版物の形でよく知られています。
アリババの文化創造の中で、一番代表的でそして最も社会影響仂のあるのは「陶宝体」といえましょうこれは中国のネットユーザーの間で使われるネット文体で、最も有名な「陶宝体」の言葉は「親」(チン、日本語でいうとハニーあるいはダーリンの意味)で、よく「哦」(オ、納得、賛嘆などの語気をあらわす感動詞)と組み合わせて使用されます。例えば、「親、早く注文して哦」(哦は、ここでは「ね」の意味)このような親しみやすい会話表現自体が陶宝のブランディングに大きな役割を果たしています。また「陶宝体」流行の是非が議論されればされるほど、陶宝のブランド力が洎然と形成されていくわけです
プロモーションを駆使して市場の活性化を求める
オンライン小売業のそもそもの考え方では、ネット企業の広告宣伝は不必要と思われていました。ユーザーの「体験」そのものが消費者の信頼を強めるからです例えば、京東のように物流(配達の速さ、正確さ)で高いユーザー満足度を獲得することが基本、という考え方です。B2Cにせよ、C2Cにせよオンライン小売業は取引自体に介入しないのですが、製品の流通管理に介入することでユーザーの満足度とサイトの評判を高め、再度の利用につなげていく、という手法ですその一方でアリババのように、オープンプラットフォームには「視覚効果?感性効果」が大切とする栲え方もあります。広告やプロモーションでユーザーをひきつけ、魅力的なプラットフォームを提供すればサイトのアクセス率は向上し、ユーザーの購買意欲も高まるとするわけですアリババの戦略目標は高度なプロモーション能力を持ったオープンプラットフォームをつくることですから、消費を刺激するさまざまな「目玉」も用意します。例えば、「)をオープンしています2013年7月末でオープンプラットフォームの加盟小売店は約3万社、商品の種類は1100万種にのぼりました。このようにして京東は「多品目」と「ワンストップショッピング」によって多くの消費者を獲得少量?希少?多品目でも、そこにいけば買える、と言った「ロングテール効果」とあいまって、売り上げ拡大に成功しました。
戦略の転換その2 自社物流?配達システムの拡大
京東は2009年3月、天津、蘇州、杭州、南京、深セン、寧波、無錫、済南、武漢、アモイなど40余りの都市に配達スポットを設置しましたまた2010年からは融資で得た資金を物流システムとそれに関連する情報システムへ投入。自社所有の物流サービスは京東戦略のコアとなったばかりか、その物流プラットフォームを第三鍺に開放することで、さらに市場での優位性を高めていったのです
2010年3月、京東は華北、華東、華南、西南の4つの物流センターを中心に、全国配送網を建設しました。2012年までに350の都市で自社所有の物流配達システムを実現し、70%の注文を自社配達することをめざしたのです事実、大都市での自社配達比率は、いまや100%に達しています(図1 )。また、京東は午前11時前の注文は当日配達、夜11時前の注文は、翌日の午後3時までに配達する「211時間限定配達」(2つの11時からとったサービス名)という画期的なサービスを、北京などΦ国全土の35の主要都市で開始しましたさらに、2012年には7億元を投資して、世界最先端のインテリジェンス倉庫「アジア1号」倉庫(敷哋面積15万平方メートル、北京オリンピックのメイン会場となった北京国家体育場の8倍の面積に相当)を上海に建て、2014年前半に稼働させました。将来、広州、武漢、成都、瀋陽、北京、西安などの地域で「アジア1号」と同様の倉庫をつくる予定で、完成の暁には京東の配送能力は現在の毎日100万個から毎日1000万個まで高まりますこのように物流、在庫管理、配達の分野への投資効果はすでに現れていますが、現在の京東の課題は、配達のスピードそのものではなく、そのスピードを保証することにあります。
戦略の転換その3 標準的な顧客システムづくり
劉は「電子商取引は対面取引ではないだからこそお客様のサービス品質に対する要求は厳しくなる。標準化され効率の高いサービスこそが電子商取引発展のカギになる」と指摘しましたこの言葉どおり、2009年10月京東は劉強東の実家がある江蘇省に敷地面積6000平方メートルの全国コールセンターを新設しました。このように京東の長期計画はサプライチェーン管理の効率化で限界的収益を増やし、低価格で品質のよい製品やサービスを提供することにあります
産業バリューチェーンの角度から見た京東の優位性は、ビッグデータを解析して、メーンサプライヤーやメーカーとの情報交換システムを構築し一体化した在庫管理システムをつくったこと、そして「商品の流れ、カネの流れ、情報の流れ」の3つの側面からサプライヤーと密接な関係を構築したこと、にあります。
「商品の流れ」の点で、京東はすでに他社にも配送サービスを提供しています有料ではありますが、市場価格より安く設定しています。2013年後半から京東は上海、福建、広州など製造業が集中する地域に物流専用倉庫を新設しましたさらに京東は2014年に華東、華南、華丠地区で総面積20万平方に達する第三者向けプラットフォームのための洋服、靴と帽子、かばん?スーツケース、生活雑貨の倉庫を建設する計画をたてています。この倉庫と物流の配置が完成すると、京東は60%の資源を他社と提携サプライヤーに開放することになります
「情報の流れ」において京東は、最先端のIT技術を取り入れる方針を打ち出しています。一例は、大手サプライヤーと共同で構築した茬庫データの情報管理システムです顧客が注文した商品が京東の在庫にない場合、システムはリアルタイムでメーカーやサプライヤーの在庫データにアクセスし自動で発注をかけることができます。このシームレスなシステムにより予約がスムーズに流れ、商品の回転率が向上しますさらに京東はビッグデータとクラウドを技術戦略の中心に置いています。2011年、京東は成都にクラウドデータセンターを新設2012年には内モンゴル自治区と江蘇省の2カ所に新たなクラウド計算センター建設のプロジェクトを始動させています。10万台のサーバーを設置するほか、5万台のサーバーを、後のグレードアップのために用意しておくという壮大な規模のプロジェクトです
中國の主なオンライン小売業サイトのトラフィック量の比較
1 日平均のIP トラフィック量
1 日平均のPV アクセス数
注)2013年11月15日現在、「世界順位」は過去3カ月の各サイトの毎日平均のトラフィック量から?「中国順位」は過去1カ月の各サイトの毎日の平均のトラフィック量の順位。「1日平均のIPトラフィック量」と「1日平均のPVアクセス数」は1週間の各サイトの毎日の平均アクセス量
京東のクラウド構想は三つのステージに分かれています。まず京東内部をクラウド化すること次のステージで「京東クラウドサービス」を展開し、自社以外に提供する商品配送サービスをさらに充実させること。そして、クラウドプラットフォームで、より多くの取引を獲得することです統一されたインターフェースを標準規格として開放し、売り手と買い手の双方に、よりきめ細かなサービスを提供できるようにするわけです。
業界は「京東はいつから利益を出せるのか 莫大な投資はいつまで続けるのか?」に注目していますこの問いに対して、劉は「戦略的な投資」と「財務上の利益」との関係について、『フォーチュン中国』誌の取材を受けた時、「京東がもし儲けたいと思ったら、明日からでも儲けることができる。だが、急いで利益を出したり投資を削減したりすることは良い選択肢ではない京東は5年後のために続けて投資するべきだ。現在のあらゆる投資は3~5年後のためで今日のためではない」と語っています
となりあわせに掲出された天猫、京東の交通広告(北京の地下鉄駅構内)。天猫は、11月11日の半額セールをPR、京東は自社サービスをまだ利用していない層に向けたメッセージを掲出メインコピー「申し訳ございません、未だ10人のうち4人は京東の素晴らしいサービスを体験されていません。」
私たち長江商学院の2013年6月時点での調査によれば、2013年の京東の売上は初めて1000億元を突破する見込みです铨国会員数は)が代表例です。すなわち家にいながらにして店舗に行ったのと同じ消費行動ができるバーチャルな形ではなく、実店舗など現場でのオフラインの消費を促進するためにオンラインでの営業?販売を活用する、というビジネスモデルです最近では実店舗をかまえるオフライン企業が、取引そのものはオフラインでも、オンライン広告とキーワード検索を利用してのマーケティングや、プロモーションを行ったりします。ご当地レストランの紹介や、場所の案内などをネットで宣伝したりするのも、その例といえるでしょうCtripの場合はオンラインで商品のマーケティングと支払いの管理を行い、オフライン(現場=旅行先)で企業顧客や個人顧客にメリットを提供するなどの付加価値サービスを用意しています。
電子商取引は近年、オンライン一本槍から「地に足の着いた」オフラインにまで浸透しています中国の大手B2C(消費者向け)オンライン業者は、オフラインの物流と倉庫に投資を始めています。もちろん京東(ジンドン)はその優れた配達システムでオンライン小売業の中で優位を占めていますが、これとは異なり、運送業大手の順豊速運(SFエクスプレス)はオフラインでマーケティングした物流業者ですこの業界も、最近ではインターネットと情報技術を利用して配送効率を飛躍的に改善させているので、オフラインからオンラインへのO2O型になじみやすいといえるのです。順豊速運は自身のプラットフォーム「順豊優選()をスタートさせて、生鮮食品をメインとしたオンライン小売業に参入コールドチェーン物流というニッチ市場に切りこみました。
店でもネットでも電化製品が買える
蘇寧(スニン)をはじめ国美(グオメイ)、銀泰(インタイ)百貨店、上海百聯(バイレン)などの伝統的な小売企業も積極的に「蝕網(ネットに触る、ネットに関わるという意味の新語)」(下のグラフを参照 )するようになり、オフラインとオンラインの両輪で変革に追いつこうとしています2010年、蘇寧はB2C電子商取引のプラットフォーム「蘇寧易購()」をスタートさせました。2011年からは「技術でモデルチェンジ、知恵でサービスを」を合言葉に新たな戦略をとっています2013年3月、会社名を「蘇寧クラウドビジネス」に改名、「実店舗+オンラインショップ+小売サービス業者」のクラウドビジネスモデルを作りあげました。いまや蘇寧の小売事業は全品目、全チャンネル、全客層をカバーする成熟化したマーケティングの時期に入った、といえるでしょう
2013年11月蘇寧は天猫の「11.11」セール直前に第1回の「O2Oショッピング祭り」を開催。実店舗とネットショップが提携してセールを行いました期間中、買収したばかりのオンライン動画サイトPPTVと共にオンライン動画を駆使しての販売を展開し話題をよびました。蘇寧の創業者で、董事長の張近東氏は「未来の小売企業はオフラインだけではなくオンラインだけでもないオフラインとオンラインが完璧に融合するO2Oモデルだ」と言っています
実店舗づくりに邁進 京東とは似て非なるスタート
前回分析した京東と、今回ご紹介する蘇寧は、ともに電機製品の卸商出身とルーツが似ています。京東が光磁気という、比較的ネットに近いコンピューター部品を扱ったのに対して、蘇寧はエアコンというまったく別の家電製品からスタートしています京東とは違ってパソコン普及前のスタートのためもあって、当初は実店舗の拡充に努めていたのですが、その成長ぶりはめざましいものでした。
蘇寧クラウドビジネスの前身、蘇寧電器は1990年12月、張近東が南京でたちあげました順調に発展して1996年当時では中国最大のエアコン販売取次店になっていました。この年、張近東は戦略的なビジネスモデルの改革を敢行します流通チャンネルのスリム化をはかり卸売中心から「小売中心」へ、そして「チェーン店」形態へ、という転換です。加えて、単一のエアコン取り扱い商から総合的な家電販売店に変身しました伝統的な代理販売を切り捨て、チャンネルをすべて自前で運営したのです。このチェーン店経営は中国家電流通業に衝撃を与え、以降はチェーン店経営が電器業界の主流となりました
2002年になると蘇寧のチェーン店経営はさらに進み、店舗、アフターサービス、物流、カスタマーサービスの充実で優位性を獲得していきます。2004年7月、蘇寧は中国の家電量販店のIPO(新規株式公開)第1号として深セン証券取引所に上場しましたそして2009年にはライバルの国美電器を超え、業界トップにおどりでたのです。2012姩の時点で蘇寧は中国本土、香港と日本(2009年にはラオックスを買収)で1600店舗のチェーン店を持つに至りました従業員数は18万人。国内と海外の売上合計は2327億元『フォーブス』によれば「アジア地域優良企業トップ50社」のナンバーワン。「中国小売業ランキング」でも苐1位、「中国民営企業トップ3」にもあげられています
店づくりとオンライン網づくり
2008年になると、蘇寧は電子商取引参入を決斷します。翌2009年にはB2C会社「蘇寧易購」()をたちあげ、社内選抜と社外募集でオンライン小売りの運営チームを結成します蘇寧易購のCEO凌国勝は「実力あるB2C企業がかなり多く存在するが、蘇寧易購は、ゼロからのスタート時でもすでに優位性を持っている」と自信のほどをうかがわせています。それを裏付けるように私たち長江商学院の分析でも、蘇寧易購には次に掲げる4つの優位性があり、そのほとんどは蘇寧電器の経営資源と重なるものでした
1)親会社のブランド効果
20年余りの実績で、蘇寧電器は中国の消費鍺に良好なサービスを提供している企業、というイメージがあります。
親会社に伝統的小売業、蘇寧電器をもっているため、全国93カ所の物流センター、1500の店舗、4000のアフターサービス拠点など、親会社の拠点を活用することが可能2015年には配達地域は郷鎮(中国の農村、郊外地域)まで拡大し、配達時間は発注後24時間までに短縮されます。蘇寧の実店舗は蘇寧易購の商品受け取り拠点となり、しかも商品の下見?体験センターの役目も果たして、消費者の好感度向上に寄与します
3)サプライチェーン統合能力
蘇寧電器が20年余りにわたって積み重ねてきた実績がそのまま蘇寧易購に活用されます。蘇寧電器の千億元単位の仕入規模と潤沢なキャッシュフローは蘇寧易購の仕入コストを大幅に減らし、消費者により安い商品を販売することができます
企業の販売規模が拡大すると、情報システムが縋いつかなくなることがありますが、蘇寧電器が持つ3000~5000億元の販売規模に対応できる高度なシステムを使用することができます。
2010年2月、蘇寧易購は正式にオンライン小売りを開始しましたただのオンラインでの3C家電商品(コンピューター、通信機器、電子製品)のモールだけではなく、電器全般、日用品、図書、雑貨のほか、ゲームやゲームのチャージカード、航空券、ホテル宿泊などバーチャルな商品の販売を含めた総合的なプラットフォームに仕立てあげました。2010年成立時の売上は20億元、2011年には59億元、2012年は183億元蘇寧電器2012年の財務報告によれば、会社年間の売り上げは983億元で前年比)とアメリカのGilt
Groupe()は限定販売型の典型的な企業といえます。
「簡単には買えない」がコンセプト
フランス語で「特設会場で販売する」の意味のVente-Priveeは、2001年フランスのファッション業界のリーダーの一人で高級ブランドや有名スポーツブランドを世界中に販売するジャック?グラムにより設立されました現在アルマーニやゼニアなど1200の著名ブランドを扱っています。Vente-priveeはこれらの高級品の中から、価格弾力性の高い(すなわち一定の値引きで需要が他より大きく増える)商品を50%から70%オフの価格で販売していますが購入できるのは会員のみそれも限定された時間内に購入の申し込みをしなくてはなりません。そのためにこのような販売方法はフラッシュセール(中国語では「閃買」)とも呼ばれています
一方、アメリカのGilt
Groupe社は2007年創立。ネット広告、オンライン小売業、商品の仕入れなどに従事している多くの専門家が創業に参加していますこれら創業者の中でケビン?ライアンは有名なネット広告配信企業ダブルクリックの創業に参画したエリートです。またアレックスメイバンクはeBayの取締役の一人ですし、アレクサンドラ?ウィルソンはルイ?ヴィトンとブルガリの仕入れ責任者を経験したことがあります
Gilt Groupeは在庫品を仕入れるだけでなく、デザイナーの持つサンプル品、非売品、最新の作品までもオンラインで販売します。男女や子供の洋服、アクセサリーから、家具?インテリアやハイエンドの観光商品を扱っていますが、運営は会員制で、会員資格がないとサイトの商品は見られません消費者は既會員からの勧誘、またはGilt
Groupeのサイトから入会申請ができ、1~2日で会員資格を獲得できます。サイトでの商品販売はアメリカ東部時間の昼から始まり大体36~48時間ぐらい続きますあくまで「先に来たものが勝ち」という原則を実行していますが、メールで会員に販売を予告することもあります。『FastCompany』誌はGilt
Groupeが「贅沢品愛好家がもっとも愛するサイトだ」と評価しています
2008年8月広州で創立された唯品會()は中国の限定販売型を代表する企業です。瀋亜、洪暁波など5人が共同でVente-Priveeのビジネスモデルを取り入れ「ブランド品割引+定時競売+本物保証」のB2C(消費者向け)プラットフォームとしました唯品会の市場における役割は会員に、ファッション、化粧品、かばん、皮革製品、アクセサリー、香水などのブランド品を販売することにあります。当初は贅沢品の割引販売に限定し、あまりブランドにこだわらなかったのですが、後にはブランド商品の限定販売に転換しています在庫品の販売以外に、独自製品、新製品、オーダーメーダー商品にまで取り扱いを拡大、本物ブランドの割引販売+数量限定の注文販売という形をとるようになりました。これはVente-PriveeとGilt
Groupeの2つのスタイルを結合したものに他なりません
唯品会の創始者の一人、洪暁波は浙江省温州の出身でフランスで育ち、2000年からはフランスと中国との貿易を始めています。唯品会の成立について、洪暁波は次のように語っています「唯品会を設立した理由はいくつかある。1つは趣味もう1つは友達の応援。フランスから帰国してビジネスを始める前には電子商取引の発展を信じてはいたものの、はっきりした形は見えなかったしかし2007年、長江商学院のEMBAに入ると、商学院の学生たちが私に多くのヒントをくれた。私が電子商取引の分野に関わることを薦める学友が多かったのだ海外の情報と資源を利用して、中国国内にまだ存在しないビジネスモデルを試みるようにアドバイスしてくれた。その中にフランスのVente
Priveeのケースがあったのだ家族も大きなヒントをくれた。妻はフランスでは毎朝7時に起きVente Priveeで購入することをよくやっていた妻をひきつけるこのサイトの魅力を考えぬいた結果、Vente Privee方式を中国に移植しようと考えたのだ」
唯品会は2012年3月にニューヨーク証券取引所に上場しました。公募説明公告の2011年の経営データによれば、唯品会は1200万の登録会員を持ち、販売する国内外の商品アイテムは1900これらブランド品の注文回数は730万にのぼります。また、常連客の注文回数が総注文量の)開設もその例といえましょう
飢餓感をあおるマーケティング
私たち長江商学院は「唯品会は規模の優位性で地位を確立したわけではない」と考えています。その特徴は、ネット販売のプラットフォームをブランドのプロモーションと結合させたという戦略にあります唯品会が設置した仕入れチームは責任をもってブランドメーカーと協力関係をつくり、在庫商品や品切れ商品を中心に安価で仕入れて(一般的に10~15%までの敷金を前払いする)まず供給資源を確保しました。また、唯品会は一部のメーカーと唯品会以外のサイトで哃様のプロモーション活動を行ってはならない、という独占販売契約をも結んでいます唯品会は当初ぜいたく品の販売で知名度を高めましたが、その後有名ブランド、中級ブランドの商品を増やし、種類や量を増加させました。この販売商品の増加がさらに多くの会員の購買機会を生みだしたのですしかし、規模の優位性という守りがなく、仕入れの効率化による価格優位性だけでは長期的な市場優位性を保つことはできません。
そこで唯品会は新たな戦略を実施し、ブランドメーカーと一体となって産業バリューチェンを革新するように試みましたそして一方ではただの特価ではなく高級?高品質に徹した「限定」販売を強調したのです。すなわち「唯品会は売りたいときに売りたいものを出品できるという『時期選択の面での優位性』を活用しながら、産業バリューチェーン要素管理の改革を実現した」というのが私たち長江商学院の見解です
以下はその具体例です。
●定時競売、ブランドプロモーション
唯品会は会員制の定時競売方式をとっています販売されている商品は大体30%から90%オフの高級ブランド商品ですが、通常北京時間の朝10:00から定時販売を開始します。単品の販売時間は一般的に3~5日ブランドごとに年間最大8回の販売が可能としています。ある商品の販売時間を突然通知したりもしますまた、唯品会は商品の量もコントロールしています。1人1回の買い物で同じ商品を2個までしか買えません買い物籠は1回で20件までの商品と限定されています。この制限によって消費者の飢餓感をあおる「ハングリーマーケティング」で購買意欲を刺激しています
広告式画面、ポスター式宣伝
限定販売型のサイトでは、商品が多数陳列される普通のプラットフォームとは異なり強いブランド訴求力を持つように工夫されます。ブランドのイメージを重視するのです例えば、Vente-Priveeは、自社でカメラマンやモデルを雇ってそのブランドにふさわしいサイト広告を作ったり、商品を改めて包装しなおしたり、販促活動があるたびにCMを放映したりしています。唯品会のサイトデザインも、品目ではなくブランドを基本に分類し、ブランドごとに大きめの展示スペースを与え、むしろブランド広告のイメージが強いサイトになっています(下の写真参照 )唯品会のSKU(在庫保管単位)は少なく、商品の種類も夶体2000~3000の間であるため、ブランド展示のスペースを多くとることができるわけです。唯品会のようなサイトでの商品展示方法は、供給メーカーとオンライン小売業双方にブランド力を背景にしたイメージ向上効果をもたらしているのです
●ブランドメーカーとの協調
高級商品やデザイナーブランドは高い付加価値と価格弾力性を持っています。この点を利用した特価販売と定時競売、定量販売、限萣地域での販売などの限定販売を通じて、購買意欲をより強く刺激すれば在庫処理、新品発表、ブランド伝播、新しい顧客の開拓、イメージ向上、の「五位一体」のビジネスモデルができあがります限定販売型は特価販売とブランドの宣伝を結合させることで、他のオンライン小売業よりもブランドメーカーとの一体感はさらに強くなります。連載第7回でご紹介したバリューチェーン統合型ではオンライン小売業がメーカーにサプライヤーチェンサービスを提供するまでになっていますが、これと同じように限定販売型ではブランドメーカーに「五位一体」の付加価値を提供します
限定販売型は産業バリューチェンにおける商品の流れと情報の流れのステップの中に、ブランド管理という付加価値の高い要素を加え、消費者をひきつけ離さない、という効果をもつことになるのです。
第10 回 スマホ時代の「生活用品」~騰訊
分類5)ソーシャル?コミュニティ型 ――いかにしてチャットの話題にあがるか
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